はじめに:なぜ、あの人の話は「心」に残るのか?

スクリーンに映し出される、文字がびっしり詰まったスライド。

単調な声で読み上げられる、売上推移のグラフやスペックの羅列。

正直、そんなプレゼンを聞きながら「早く終わらないかな」と思ってしまった経験は、誰にでもあるはずです。内容は正しい。論理も完璧。でも、なぜか心が動かないし、翌日には内容をほとんど覚えていない。

一方で、スティーブ・ジョブズの伝説的なスピーチや、TEDトークのように、たった数分で聴衆を熱狂させ、スタンディングオベーションを巻き起こすプレゼンもあります。

この違いは一体、どこにあるのでしょうか?

カリスマ性? 滑舌の良さ? 美しいスライドデザイン?

いいえ、答えはもっと本質的な部分にあります。

人の心を動かすプレゼンには、必ず**「物語(ストーリー)」**が存在するのです。

認知心理学者ジェローム・ブルーナーの研究によると、**「事実は、物語として語られることで22倍記憶に残りやすくなる」**と言われています。

今回は、単なる情報伝達を感動的な体験に変え、聞き手をあなたのファンにしてしまう「ストーリーテリング」の手法を解説します。これは才能ではなく、誰もが習得できる「技術」です。

今まで学んだことを経験を踏まえ、伝えたいと思います。


第1章:共感の正体は「自分事化」である

そもそも、プレゼンにおける「共感」とは何でしょうか。

「いい話だったね」と感動してもらうこと?

もちろんそれも大切ですが、ビジネスや発信の場におけるゴールは少し違います。

ここでの共感とは、「これは、私のことだ!」と聞き手に自分事として捉えてもらうことです。

どれほど高尚なビジョンも、素晴らしい商品のスペックも、聞き手が「自分には関係ない」と感じた瞬間にシャッターが下ろされます。逆に、「これこそ私がずっと待っていた答えだ」と感じてもらえれば、細かい説得は不要になります。

共通の「敵」を設定する

聞き手を物語に引き込む最短のルートは、**「共通の敵(課題)」**を見せることです。

例えば、新しい業務ツールを導入したい場合。

「このツールは処理速度が2倍です」と言っても、誰もワクワクしません。

しかし、こう伝えたらどうでしょう?

「私たちは毎日、本来のクリエイティブな仕事ではなく、『待ち時間』という名の敵と戦っていませんか? パソコンが固まるのを待つ1日15分。年間で60時間。私たちはこの無駄な時間に、人生を奪われているんです」

ここでは、「遅いパソコン」という共通の敵を設定することで、聞き手の中に「そうだ、あれは本当にストレスなんだ!」という感情(痛み)を呼び起こしています。

この「痛み」を共有できた瞬間、あなたと聞き手は「発表者と審査員」という対立関係から、**「共に敵と戦う同志」**へと変わります。これが共感のスタートラインです。


第2章:感情のジェットコースターを作る「ヒーローズ・ジャーニー」

物語には、古今東西、神話の時代から変わらない「黄金の型」があります。それが、ジョセフ・キャンベルが提唱した**「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」**です。

スター・ウォーズも、ハリー・ポッターも、この構造で作られています。

これをプレゼン用にシンプルに落とし込むと、次の3ステップになります。

Step 1:日常の世界(Before / 現状の共有)

まずは、聞き手が今いる「日常」を描写します。

  • 「皆さんは今、〇〇という課題に悩んでいませんか?」
  • 「毎日、終電帰りが続いて疲弊していませんか?」ここでは、あえて少し暗い現実、解決されていないモヤモヤ(葛藤)を提示し、「そうそう、今のままだと辛いんだよ」という頷きを引き出します。

Step 2:冒険への誘いと試練(Conflict / 課題の深掘り)

次に、なぜその問題が解決できないのか、その壁の高さを語ります。

  • 「コストの壁がありました」
  • 「従来のやり方では限界でした」この「谷(苦労・葛藤)」が深ければ深いほど、次の解決策が輝きます。順風満帆な話に人は共感しません。失敗談や苦労話といった「弱み」を見せることで、信頼感が生まれます。

Step 3:帰還と報酬(After / 未来の提示)

最後に、あなたの提案(解決策)によってもたらされる「新しい世界」を見せます。

単に「課題が解決します」ではなく、**「その結果、聞き手の感情や生活がどう素敵になるか」**を語るのがポイントです。

  • ×「このツールで作業時間が30分短縮されます」
  • ○「この30分で、あなたは早く帰って家族と夕食を囲めるようになります。もう、オフィスの窓から暗い夜空を見上げる必要はないのです」

【現状(谷)】→【解決策(架け橋)】→【理想の未来(山)】。

このV字カーブを描くことで、プレゼンは単なる説明から、聞き手を主人公にしたドラマへと昇華されます。


第3章:「What」ではなく「Why」から語る

優れたリーダーやプレゼンターは、語る順番が普通の人とは逆です。

マーケティングコンサルタントのサイモン・シネックが提唱した「ゴールデンサークル理論」をご存知でしょうか。

多くの人は、以下のように話します。

  1. What(何を): 「我々は素晴らしいパソコンを作りました」
  2. How(どうやって): 「美しいデザインで、操作も簡単です」
  3. Why(なぜ): (言わないことが多い)

しかし、人の心を動かす順序は、Why → How → What です。

  1. Why(信念): 「私たちは、世界を変えられると信じています。既存の現状に挑戦することが、私たちの使命です」
  2. How(方法): 「そのために、美しく、使いやすい製品を作りました」
  3. What(結果): 「それが、この新しいパソコンです」

どうでしょう? 後者の方が圧倒的に「欲しい!」と思いませんか?

あなたの「原体験」が最強の武器になる

この「Why」を語る時、最も強力なのがあなた自身の**「原体験」**です。

なぜ、あなたがそのプロジェクトをやるのか?

なぜ、あなたはその商品を売りたいのか?

  • 「実は、私自身が過去にこの問題で苦しみ、絶望した経験があるんです」
  • 「入社1年目の時、あるお客様に言われた一言が忘れられないんです」

データは誰が語っても同じですが、あなたの体験談はあなたにしか語れません。

その「個人的な物語」にこそ、熱が宿ります。

「そこまで言うなら、応援してやろうじゃないか」

そう思わせるのは、論理の正しさではなく、あなたの**「本音のWhy」**なのです。


第4章:明日から使える「ストーリーテリング」実践テクニック

最後に、今すぐプレゼンに取り入れられる小さなテクニックを3つ紹介します。

1. 数字に「体温」を持たせる

「100万個売れました」という数字はすごいですが、イメージしづらいものです。

ストーリーに乗せるなら、こう変換しましょう。

「100万人のお客様の、100万通りの笑顔を作ることができました」

数字の向こう側にいる「人間」を想像させる言葉を選んでください。

2. 「私は」を「私たちは」「あなたは」に変える

プレゼンがつまらない人の主語は、たいてい「私は(I)」や「弊社は(We)」です。

これを「皆さん(You)」に変えるだけで、当事者意識が変わります。

「私が開発した機能は〜」ではなく、「あなたが明日から使うこの機能は〜」と言い換えましょう。

3. 「五感」に訴える描写を入れる

情景が浮かぶ言葉を使うと、聞き手の脳内で物語が再生されやすくなります。

  • 「忙しかった」→「電話が鳴り止まず、トイレに行く暇さえなかった」
  • 「嬉しかった」→「思わずガッツポーズをして、手が震えた」視覚、聴覚、触覚に訴える具体的な描写が、没入感を生みます。

まとめ:プレゼンとは、未来への招待状である

プレゼンテーション(Presentation)の語源は、「プレゼント(Present)」と同じだと言われています。

あなたが聞き手に渡そうとしているのは、単なる資料の束でも、データの羅列でもありません。

「この提案を受け入れれば、あなたの未来はもっと良くなる」という**「より良い未来への招待状」**なのです。

かっこよく話す必要はありません。

流暢である必要もありません。

大切なのは、「聞き手の現状を変えたい」というあなたの想い(Why)と、それを自分事として感じてもらうための物語(Story)です。

次のプレゼンでは、パソコンを開く前に、少しだけ時間をとって考えてみてください。

「私が語るべき、聞き手との共通の物語は何だろう?」と。

その物語が聞き手の心に届いた時、あなたの言葉はただの「説明」を超えて、人を動かす強烈なエネルギーに変わるはずです。

さあ、あなたの物語を語り始めましょう。

1. 記事内で直接言及されている理論の原典

■ ジェローム・ブルーナーの研究(物語と記憶) 記事にある「事実は物語として語られると22倍記憶に残る」という説は、認知心理学者ジェローム・ブルーナーの研究に基づき、スタンフォード大学のジェニファー・アーカー教授が提唱して広まった概念です。

  • 書籍: 『Actual Minds, Possible Worlds』(邦訳:『可能世界の心理』)
    • 著者: Jerome Bruner
  • 関連資料 (英語): Jennifer Aaker (Stanford GSB) – Harnessing the Power of Stories

■ ジョセフ・キャンベル(ヒーローズ・ジャーニー) 第2章で触れている「神話の法則」の原典です。

  • 書籍: 『千の顔をもつ英雄』(原題: The Hero with a Thousand Faces)
    • 著者: ジョセフ・キャンベル
    • 説明: スター・ウォーズのジョージ・ルーカス監督も参考にしたとされる、神話的構造のバイブルです。
    • Amazonリンク(参考): https://amzn.to/3xwJkQz ※文庫版など

■ サイモン・シネック(ゴールデンサークル) 第3章の「Whyから始める」理論の一次情報です。


2. 記事の主張(構成・テクニック)を補強する参考文献

■ 「現状(Before)」と「未来(After)」のギャップについて 記事中の「Step 1~Step 3」で解説されている、現状と理想を行き来して感情を揺さぶる手法は、ナンシー・デュアルテ氏の理論が非常に有名です。

  • 書籍: 『共感で動かす ―心を揺さぶり、相手を行動させるストーリーテリング』(原題: Resonate)
    • 著者: ナンシー・デュアルテ
    • 説明: スティーブ・ジョブズやキング牧師のスピーチを分析し、「現状」と「理想」を行き来する波形(スパークライン)でプレゼン構造を解説しています。記事の第2章を深く学ぶのに最適です。
  • 動画: TED Talk「プレゼンテーションの秘密」

■ 「共通の敵」と「自分事化」について 「顧客を主人公(ヒーロー)にする」「共通の敵を設定する」というアプローチは、ドナルド・ミラー氏の「ストーリーブランド」戦略が詳しいです。

  • 書籍: 『ストーリーブランド戦略』(原題: Building a StoryBrand)
    • 著者: ドナルド・ミラー
    • 説明: 顧客を主人公、企業を導き手(ガイド)と位置づけ、物語の力でマーケティングを行う手法を解説しています。記事の第1章の考え方をビジネス全般に応用する際に役立ちます。
ABOUT ME
やし
1000人規模の組織で、経営戦略やDX、HR部門など経験。現在は、HR部門で、組織改革のPMや採用、人材育成を担当。「人を大切にする」を軸に、人間関係の悩みを理論的に解決し、自由で主体的に生きる人を増やすこと目的に発信しています。